気まぐれ日記 07年3月

07年2月はここ

3月1日(木)「15261歩・・・の風さん」
 5時半に起床した。スーツを着て、ベルトには万歩計を装着した。上京して足で稼ぐ1日の始まりである。
 幸いワイフも早起きしてくれたので、最寄の駅まで送ってもらった。330円の区間まで名鉄に乗車し、そこから700mほど歩く。JRに乗り換えて480円の区間で降りたところに勤務先の本社がある。駅のみどりの窓口で、新幹線の指定券の列車変更手続きをした。つまり、信頼性品質問題のために、どうしても今朝は本社へ顔を出さねばならなくなったのである。
 重役の前での会議は7時40分ごろから始まった。厳しい議論が続いたが、結論は最初から決まっていた。前へ進むしかないのである。急いで対応すべきアイテムを確認して会議は終了した。
 会議が終了すると同時に、同僚Aから「職場で問題が起きていますよ」と知らされた。状況を伝えるメモを読んで、一瞬わたしは顔をしかめたが、バタバタしても始まらない。同僚Bへ正確な状況を把握するように指示するだけにとどめた。
 その後の別の大きな会議もあったのだが、同僚Cに任せて、私は名古屋へ向かった。
 当初の予定では、昼前に都内某所へ行き、ある会社のトップと1対1で打ち合わせをすることになっていた。そのトップは海外出張に出発するフライトを変更して対応してくれることになっていた。それが、今朝のトップ報告になった問題のために、昨日は流れかけた。しかし、幸いなことにフライトをかなり遅い時刻へ変更してくれていたので、夕方会えることになったのである。
 昼食後、品川駅で同僚Aと合流し、タクシーで移動して某社を訪ねた。我々の仕事と関係するキーマン後継者への表敬訪問である。我々が自ら仕掛けた環境変化のために、この某社との関係にヒビを入れないための事前アクションである。
 その目的は無事果たすことができた。
 その後某所へ移動し、同僚Aも交えて、夕方へ変更したある会社トップとの打ち合わせを実施して目的を果たし、東京での業務を終了した。
 久しぶりに作家の顔に戻った私は、高輪台にあるギャラリーオキュルスにちょっと顔を出し、夜は丸の内オアゾの某レストランで「Net Rush」の真咲なおこさんと会食し、ほとんど終電に近いのぞみで帰名した。帰りの車中では疲労がどっと出て、爆睡状態であった(笑)。
 最寄の駅までワイフが迎えに来てくれた。
 帰宅し、万歩計を外してみたら、15261を示していた。

3月2日(金)「会社の仕事に専念しても怒涛の日々・・・の風さん」
 朝のラジオ体操にギリギリ間に合う時刻に職場にたどり着いた。夕方から名古屋へ出張するので、今日もスーツ姿である。
 同僚Cが主催する重要な会議が午前中あって、それが終わらないうちに本社へ出かける時刻になってしまった。昨日の早朝の会議のアクションアイテムの一つの結果(データ)が出るので、昼休み中に15分間だけ、重役の前で報告会があるのだ。私の勤務先では、技術担当重役はこういったことが多く、心身ともに強靭でなければ務まらない。
 同僚Aの運転するスカイラインで往復した。
 (データに関しては省略)
 今日で定年退職する先輩が挨拶に来られたので、しばらく歓談した。私が係長時代に、思い出に残るような仕事を一緒にした方である。古き良き時代の話になり、現在を憂える話へつながってしまった。昔も今も会社は発展中である。しかし、昔は今よりもはるかに社員は情熱をもって、多少の無理をしながら、将来へつながる仕事をしていたような気がする。それが今日につながっているという実感がある。会社が大きくなって、管理というヒモで巨体を縛っていないと、バラバラになってしまうのが怖いのか、チャレンジすることが減ってしまった。私自身を振り返ってみても、会社で無理できない分、社外で個人的に無理していると言われかねない。
 そうこうしているうちに、名古屋へ出張する時刻が迫ってきた。が、ここで、昨日露見した職場の問題が、一向に沈静化していないばかりか、私の出した指示まで現場に誤解を生んでいることが判明したため、またまた出張計画を変更しなければならなくなった。
 出張先へ予定変更の謝罪電話を入れるとともに、現場の管理者のキーマン全員集合をかけた。
 約1時間半かけて、最初に現場の管理者のキーマン一人一人から現状に対する不満をぶちまけてもらった後、私が、この1週間の出来事を語りながら、それらに対してどのように判断して部下へ指示を与えてきたかを詳しく説明した。問題の全体像を示したことで、キーマンらは眼前に起きた状況を、あらためて理解して納得してくれたようだった。
 やや疲労して自席に戻ると、職場の問題に関係した部下2名が会議を終えて戻ってきていたので、部屋の隅の方にあるホワイトボードのところへ呼んだ。職場の問題については、既に直属の上司にあたる同僚Bから指導がなされているので、そのことには触れず、技術者としての基本的な姿勢ということで、データをグラフ化するときの注意点について、ホワイトボードに絵を描きながら説明した。
 会社の仕事に専念した1週間だったが、連日怒涛の中で翻弄されていた気がする。
 疲れきっていて、気まぐれ日記の更新どころではない。

3月3日(土)「休日もヒマなし・・・の風さん」
 実は、一昨日、私の社会人入試の合格通知が届いていた。23日までに手続きを完了すれば、来月から晴れて私はピッカピカの新入生である(笑)。ま、とにかく、正式に通知がもらえたので、どこへ入ろうとしているのか、ここで公開しておこう。
 親しい先生からのお誘いもあって、私が決意した入学先は、愛知工業大学の博士後期課程で、経営情報科学専攻である。27年間の勤務先での経験を、3年間で学問的にまとめるつもりだ。
 今回の決断に至るまでには、色々な懸案事項があった。最大の課題は時間と体力である。会社員をやりながら、残った時間のほとんどは作家として活動している。これ以上、時間も体力も余っているわけがない。そういった不安を、27年間の会社生活を集大成したいという意欲が上回ったのである。それほど、意義ある仕事を長い年月やらせてもらってきたことを、今になって強く再認識しているからである。
 小さな課題としては、学費の問題があった。自分から挑戦することを決めたので、会社に援助を求めるわけにいかない。だから、自費覚悟である。私立大学なので少額ということはない。ところが、これまた幸いなことに、授業料半額免除の制度があった。ただし、受験時に成績優秀なこと、さらに後で判明したのだが、今回は採用枠は1名分しかなかった。母校の成績証明書から職場の上司の推薦書、そして今回の試験と面接の結果などから、総合判定されたのだろうが、その権利を得ることもできた。当初、昨年の作家活動で得た蓄えで、今年の学費はまかなえると読んでいたが、来年の前半までは何とかなりそうである(笑)。
 私のことばかり書いてきたが、実は、今日は、長男が受験した本命大学の一次試験の結果が分かる日だった。ワイフは速達で届くものと思い、留守番をしている私に居眠りしないようにメールを送ってきたりしていたが、予備校へ出かけていた長男から先にワイフへ速報メールが届いたそうである。それによると、な、なんと「合格!」。奇跡は起こるものらしい。一次試験が通って喜んでいるヒマもなく、もう明日が二次試験で、長男は4倍の難関に挑むことになる。今度は「色彩感覚」を実技で試されるらしい。
 今日は、朝から平成18年度の確定申告の準備に専念し、午前零時前にやっと終了した。

3月4日(日)「半六邸のお雛様・・・の風さん」
 朝からぐんぐん気温が上昇した。
 午後から第5回「半六さんのひなまつり」を見学にワイフと出かけた。誘ってくれた秋月達郎さんに久しぶりに会えるのが楽しみでもある。
 ちょうど半田市で開催中の「はんだ蔵のまち雛祭り」の中の、注目のイベントでもある。江戸時代から現代までの30組ほどのひな飾りが、半六邸内に所狭しと飾られていた。初めて見る御殿の中に飾られたお雛様は、まさに宮中の様子を模したものらしく、豪華さがハンパじゃなかった。年代モノでも保存がよく、顔の表情など生き生きとしていて、感受性の高い子供は「怖い」と言って、母親の背中に隠れて眺めていた。琴の生演奏もされていて、生田流宮城派と書いてあったから、私の母と同じである。母は若い頃から琴を習っていて、宮城道雄から直々に指導を受けた。琴の調べに昔の母を連想した。
 邸内で呈茶サービスがあり、きな粉をまぶして焼いた小さな餅が2個ついていた。これがなかなか香ばしくて美味かった。
 ここまで目当ての秋月達郎さんの姿はどこにも見えなかった。
 庭にある離れで土産物を売っていて、そこに秋月達郎さんの新刊が積んであったので、会えない代わりに購入することにした。
 代金を支払うと、
 「著者のサインがもらえますよ」
 と言う。
 「え? どこにいるのですか?」
 「邸の裏でお餅を焼いています」
 言われたところへ行ってみると、炭火で餅を焼いている人気作家の後姿があった。
 相変わらずユーモアに富んだ語り口で、話していると愉快になる。
 古布を用いて部屋全体に鴨川の「流しびな」をイメージした飾り付けは、どうやら秋月さんのアイデアだったらしい。
 しばらく歓談して、サインをもらって帰った。
 帰りのミッシェルのラジオから今日の名古屋地方の最高気温が報じられた。
 平年より11度も高い22.5度らしく、5月上旬の陽気だという。温度上昇の原因が、海水の温度上昇なのか、炭酸ガスによる温室効果なのかフェーン現象なのか分からないが、平年気温を11度も押し上げたという事実が気になる。これだけの昇温エネルギーが、もし真夏の名古屋を襲ったらどうなるか。平年の気温が仮に30度だとすると、その日の最高気温は41度になる計算だ。
 ここで、試しにインターネットで名古屋の8月の平年気温を調べてみた。するとどうだ。32.6度という数値が並んでいるではないか。11度を足せば、43.6度となる。東海地震よりも先に熱波で当地には死者が多発するだろう。
 地球温暖化に対処することは、人類共通の課題であることは間違いない。

3月5日(月)「テロを心配することになるとは・・・の風さん」
 昨日は日中半袖姿の人が目立ったのに、今日は朝から冷たい雨が降っていた。
 疲れが残っていて、どうにも体がだるい。それでも、会社の仕事がたまっているので、今日はそれらに専念する日だ。
 帰宅は午後10時を回っていた。
 次女は高校のラグビー部のマネージャーをやっているのだが、父兄から手紙が届いていて、夏に海外研修をやらせたい、とあった。子供の気持ちより先に、親がやらせたいとは何事か、と思った。ま、それは本心ではなく、めったに手紙を書かない人の、間違った文章表現であろう、と解釈したが、それなら海外研修の目的は何か、こちらで想像するしかない。しかし、たいして強いチームでもないのに、海外研修などして強化できるのだろうか。とても考えられない。もしそうだとすると、次の県大会で好成績を残さない限り、よい笑いものだ。
 説明会には私はもとよりワイフも出席できないので、ご意見メールを送信することになった。
 その文案を作成しているうちに、また深夜になってしまったのである。文末には、親としてテロに遭遇するのも心配、と書いた。やれやれ。
 その文案はパソコンからケータイへ送信しておいた。明日、ケータイからご意見メールを受信する別の父兄のケータイへ送ることになる。

3月6日(火)「一転して冬と会社員に逆戻り・・・の風さん」
 急に冬型の気圧配置になったと思ったら、正直に気温も下がって、非常に寒い1日だった。会社の帰りにガソリンスタンドに寄って灯油を購入したが、待っている間、寒さで震えていなければならなかった。
 明日は名古屋で講義をするので(これは会社の仕事)、書斎でスライドの整理をした。会社では忙しくてとてもできなかった。だからと言って、残業して対応しようとすると、何が起きて妨害されるか分からないので、さっさと帰宅するに限る。しかし、書斎で会社の仕事をしているのだから、作家の仕事が妨害されているとも言える。仕方のないことである。
 スライドの修正はわずかだったのだが、あっという間に就寝時間が迫ってきた。急いで、モバイルパソコンのアシュレイにPPTファイルを移動して、明日の持ち物をカバンに詰め込んだ。カバンはずしりと重い。
 さっさとシャワーを浴びて、就寝前のわずかな時間を利用して読みかけの小説を読んだ。現在、2冊の小説を同時に読み続けている。どちらも非常に面白い。無駄のない文章と、テンポの良い場面展開で、適度な緊張感・期待感で読み進むことができる。作家として分析的に読んでいるのだが、ちょっと真似できない気がする。優れた作品なのだろう。

3月7日(水)「振り込め詐欺異聞・・・の風さん」
 電車で名古屋へ出張し、某協会のセミナーの講義をした。100枚を超えるスライドを駆使して、3時間に及ぶ講義である。半年に1度の講義で、毎回、内容を少しずつ更新しているので、自分にとっても勉強する良い機会になっている。
 しかし、途中で小休憩を挟んでも、3時間は長い。今回の受講生は熱心で、講義の途中でも質問を浴びせてくるので、体力を消耗するが、手応えがあって達成感も覚えた。
 遅い昼食を協会の代表と摂りながら、あれこれ雑談した。こういった情報交換は貴重である。
 午後の講義が始まる直前に某協会のあるビルを出た。昨日に続いて今日も冷たい風が吹いている。オープンしたばかりの名駅前のミッドランドスクエアが、空高く突き刺さるように伸びている。
 とてもミッドランドスクエアを探検しているような時間はないが、せっかく名古屋まで出てきたので、銀行に寄って、入学する愛工大の入学金と半期分の授業料などを振り込むことにした。
 平日の銀行がどれくらい混んでいるか予想もできなかったが、けっこう客が多く、10分近く待たされた。ようやく呼ばれて、窓口へ行き、所定の振込用紙を取り出すと、受付嬢は慣れていると見え、すぐさまマニュアル通りの反応を示した。
 「10万円以上の現金を振り込む場合は、お客様の確認をさせていただいております・・・」
 振り込め詐欺対策の一環である。私はすぐさま免許証を取り出そうとしたが、受付嬢の次の言葉でずっこけた。
 「お父様は当銀行に口座はお持ちですか?」
 振込用紙に記入された名前が、私ではなく、息子のものだと決めてかかったセリフだった。確かに、今の時期、合格した私立大学への入学金などを親が振り込みにくるのは、よくあることなのだろう。そうなると、これは振り込め詐欺だ・・・おっと脱線してはいけない。
 一瞬面食らった私だったが、すぐに合点して、受付嬢に伝えた。
 「それ・・・私本人なのですが・・・」
 今度は、受付嬢が面食らう番だった(笑)。

3月8日(木)「なぜか血糖値が低い・・・の風さん」
 昨年の12月から月1回の総合病院通いが続いている。二つの診療科をハシゴしている。一つは完治まで半年ぐらいかかりそうなマヌケな病気。もう一つは老人性の病気で、まだ良い薬に当たらない。今日も早々と出かけたのだが、遅々として診察が進まなかったため、意外と時間がかかった。老人性の病気の薬はとうとう4種類目となった。うっかりそこで花粉症の話をしてしまったので、抗アレルギー剤まで処方してもらうことになってしまった。マヌケな病気の方では血液検査があり、診察室に入るなり、
 「朝ごはんをちゃんと食べてきましたか?」
 「はい・・・?」
 「血糖値が低いですけど、フラフラしませんか?」
 「いいえ」
 うっかり「はい」とでも言おうものなら、栄養剤まで処方されてしまうかもしれなかった。
 会計に行くと、8000円以上もとられた! 健康保険に入っていて、これである。健康が一番経済的。
 時間を食ってしまい、帰りに美術館に寄って知人の陶芸展を覗く予定だったが不可能になった。残念!
 午前中だけ有休で、正午前に出社した。

3月9日(金)「凧も体力も落下・・・の風さん」
 帰宅してからどうも体調がイマイチなので、昨夜は、気になっていたネット注文を一気に仕掛けた。今年は、4月から社会人入学するので小遣いの無駄遣いは厳禁である。なにしろ学費は自己負担で、授業料半免とはいえ、決して少額とはいえない。それでも、必要なものはやはり購入しなければならない。
 今回注文したのは、家庭用の空気清浄脱臭器である。花粉症対策である。数日前に会社の同僚が、花粉症に効果がある、と断言していたので、それならと決心した。今年は薬を飲んでいてもけっこう症状が重い。年々、カラダが敏感で弱くなっている気がするからだ。それから、浄水器のフィルターも注文した。ネット上でショップを比較してみたら、同じ製品でも様々な価格である。惑わされるのは、消費税、送料、支払方法、代引手数料などである。ネット上で安い価格や送料無料などと提示されていても、手続きをしていくうちに本当の支払い金額が判明して驚くことがある。最初にクリックしたショップは「はずれ」だったが、二つ目は大当たりで、すべて込みで定価より2000円以上も安かった(^_^)。
 今日は、午前中は特に予定がなく、自席で未読のメールを処理していた。私は仕事がのろいので、時間ばかりかかって処理がなかなか進まない。そうこうするうちに、席に元の部下がやってきた。ちょっとだけ立ち寄ったらしいのだが、うれしかったので、無理やり現場見学に誘った。クリーンルームの中の開発中の工程である。その後、一緒に昼食をたべ、さらに休憩所で雑談までしてしまったので、昼休みの重要なイベントを失念してしまった(ボケである)。
 参加できなかったイベントとは、正月休みにできなかった職場で作った中凧の試験飛行である。ようやく寒波が去って、今日は晴天、絶好の凧揚げ日和かと思われた・・・が、後で聞いたら、風不足で、いったんは舞い上がったものの、失速して落下、骨2本が折れて再飛行が困難になったとのことである。
 午後から来客が2件あり、定時後も会議に出席し、さらに残業をしたので、帰宅は午後10時を過ぎた。
 今週も疲労困憊の1週間だった。

3月10日(土)「父子同時新入生・・・の風さん」
 朝から花粉症で目覚めがつらかったが、起きてみると、素晴らしく空が晴れていて気持ちいい。今日はきっと好い日になる、と思った。
 が、朝刊をチェックしてみると、夕方から天気が崩れて、夜には雨になるという。
 書斎で雑用をしている間に、寝坊の長男も起き出した気配である。
 昼食時にワイフから「今日は受験結果がファックスで届いているはずだ」と言われた。その長男は何も言わずに出かけていた。
 「どうだったのかしら?」
 「メールしてみろよ」
 すぐにワイフのケータイに返信があった。
 「落ちたって!」
 「何しに出かけているんだ?」
 「買い物らしいけど、何買いに行ったのかしら?」
 そうこうしているうちに、私のネットの買い物が続々と届いた。空気清浄・脱臭器、浄水器のフィルター、たまったポイントで購入した本まで届いた。これだけネット購入が便利になると、かなり高齢になって動けなくなっても、買い物には困らないような気がする。
 ついでに、使用期限が迫っているクーポンでUSBメモリを注文した。1GBのメモリで、1330円も安く買えた。この操作をしているときに、執筆パソコンのCPUがデュアルコアつまり3.2GHzのCPUを二つ搭載していることが分かった。あるソフトで調べてみると、コアが二つあるように表示しているが、購入時に意識していなかったので(マヌケな話だが)、半信半疑だった。
 長男が帰ってきたので、「納めた入学金を無駄にしなかったな」と言ってやったら、うれしそうな顔をしていた。アホか。
 ま、とにかく、これで4月から、こいつとオレは同時に新入生だ(笑)。
 天気予報通り、午後から雲が多くなった。
 不幸の知らせがあった。
 近所の動物クリニックの家で小学生の子供が病気で亡くなったのだ。
 ワイフが通夜に出かけた。
 何でもいい、子供は健康に育ってくれれば。
 空気清浄・脱臭器を書斎に仕掛けて頑張ったが、能率は上がらなかった。
 あまり好い日ではなかったな。

3月11日(日)「関孝和没後三百年記念事業・・・の風さん」
 今年の12月に関孝和没後三百年になる。それを記念して、各学協会では、さまざまの事業を計画している。その第2回実行委員会があるので上京した。いちおう私も発起人の候補である。
 多忙でお金がない、つまり貧乏ヒマなし状態だったので、今回は往復とも「ぷらっとこだま」を利用した。実に久しぶりである。この新幹線チケットはくせもので、指定の列車に乗り遅れると、その切符はパーとなる。他の新幹線の自由席にも乗れない。そういう手痛い思いをしたことがあるので、安くていいのだが、もう何年も利用したことがなかった。
 急激に寒さが強まった朝、少し冬支度で出発した。かばんには往復の新幹線で読もうと本を2冊しのばせた。
 日曜日のこだまは意外と混んでいた。私は3人がけの通路側に席をとっていたのだが、静岡で隣の席に若いアベックが乗り込んできた。何となく怪しいカップルで、どう怪しいのかうまく表現できないが、遊びなれたような感じで、低い声で楽しそうに語り合っている。一番気に食わないのは、隣の男が何とも言えない甘い香りを漂わせているのだ。コロンでもなく整髪料でもなく、何だか分からない匂いだ。
 そこらじゅうに旅行客が、ある席は団体で、ある席はカップルで、実に雑然としていた。
 そんな不快な雰囲気の中、東京に着いた。息苦しかった。
 実行委員会の前に、江戸東京博物館では、第10回和算に学ぶという催しがされていた。午前中は、算額をつくろうコンクールの表彰式で、私は午後の講演会から聴講した。和算研究所の佐藤健一先生、小説『算法少女』の遠藤寛子さんそして国際基督教大学の森本光生先生の「建部賢弘の数学」である。遠藤寛子さんは、『算法少女』ができるまでの経緯を話してくれたのだが、面白い題材に出会ってから、色々な調査を経てストーリーや登場人物の役割を決めていくプロセスが、同じ書き手として納得できた。
 実行委員会には、日本数学会や各大学、各和算研究会の先生方がたくさん出席されていて、懐かしいお顔もあり、挨拶できてよかった。しかし、一番の出会いは、前橋工科大学の小林龍彦先生と初めてお話できたことだ。『ラランデの星』を読んでいただき、すばらしい書評を書いていただけたので、ぜひお目にかかりたかった。そのような書評を書かれた背景は、次のお言葉で納得できた。
 「昔の人の業績を研究していて、その人の回りにいた家族や友人などといった人々の存在のことに、この年になって、ようやく思いを馳せることができるようになりました。『ラランデの星』はそういった私の心の琴線に触れたのです」
 今年の12月1〜2日に三百年忌法要を執り行い、そこから約1年間にわたる記念事業(展示会や講演会)が全国でスタートする。
 帰りの車中で、横山秀夫の『半落ち』を読み終えた。感動した。
 帰宅は午後10時をだいぶ回っていた。往復約8時間の旅だった。

3月12日(月)「息つく間もない1日を終えて帰宅してみれば・・・の風さん」
 今日は忙しくなることが予想されたので、少し早めに出社した。そこから小休憩する時間もない怒涛の一日となり、帰宅したのは昨日と同じ午後10時過ぎ。疲労困憊だった。
 先日、職場まで訪ねてきてくれた、地元の中学1年生の女子3人の、取材結果をまとめた新聞のコピーが届いていた。3人3様のまとめ方だったが、それぞれ、私へのインタビュー結果を忠実に記事にしてあり、とても好感がもてた。私はややレベルの高い話をしてしまったと反省していたのだが、決してそうではなく、彼女らは彼女ららしい感性で、間違いなく私のメッセージを受け止めてくれたのである。
 書斎でメールチェックすると、正月に読んで感動した『ビッグツリー』の著者、佐々木常夫さんから返信メールが届いていた。佐々木さんは、母校秋田高校の9年先輩である。この9年という差はきわめて大きいが、私を後輩の一人として認めてくれたようで、うれしかった。

3月14日(水)「ご機嫌ななめ・・・の風さん」
 昨日の会社生活は、1年に1日あるかないかの会議の全くない日だった。こういう日はとにかく溜まりに溜まった雑務を片付けようと、終日パソコンとにらめっこした。おかげで、いくらかサイバー空間内の整理整頓ができた(変な話だが)。勢いづいた私は、思い切って5時に退社し、なかなかできなかった買い物をして、ついでに図書館にも寄ってから帰宅した。家でも身辺整理にいそしんだ。
 その勢いで、今日も過ごそうと思っていたら、とーんでもない1日になってしまった。
 とにかく朝から会議に継ぐ会議、同僚と本社へ移動して、昼食を摂ってすぐ昼休み中に重役へ報告、ひとつ挟んで再び重役へ報告、それが終わると製作所へ戻って会議、部長が合流してまた会議、定時後も会議、おまけに明日東京方面に出張になってしまった。
 疲労困憊して帰宅すると、いくつか郵便物が届いていた。
 一つは、開封してみると、千円分の商品券(DCカード)が出てきた。「厳正な抽選の結果・・・」とある。応募した記憶はない。もしかして自分以外へ届いた郵便かと思って、慌てて封筒の宛名書きを確かめてみたら、確かに自分宛てだった。ホッとした。
 もう一つは、大きな封筒だった。「著作物利用許諾依頼書在中」と書いてある。国立国語研究所といういかめしい名前の団体からで、架空の組織ではなさそうだったが、内容が気に入らなかった。無作為に抽出した原稿を1000〜10000字分もデータベース化するという(採用された場合の謝礼は500円)。しかも、27日までに許諾可否を回答しろという性急さである。「あなたの原稿は正しく美しい日本語が使用されているから、ぜひデータベース化したい」とか何とか歯の浮くようなセリフで説得するならまだしも、無作為に抽出するし、採用されるかどうかも分からないのに、事前に許諾しろとは何事だ、と言いたい。
 ワイフのケータイにもけしからぬメールが入っていた。次女の入っている高校のクラブチームを、海外研修に行かせたいという親の勝手な提案に関するミーティングの案内である。そのひと言のために、チーム全員の親が、参加費用数十万円を捻出することになるのだ。他人の迷惑かえりみず、自分の子供を行かせたいばかりに提案したとしか思えない。そもそもそういった習慣はこれまでなかったのだから。初めての活動ならば、それなりの準備期間というものが必要だし、そもそも子供たちの意思を脇によけていることが気に入らない。
 すっかり機嫌をそこねてしまった風さんは、深夜までウィスキーをあおりながらPSPで数独をやることに・・・。

3月15日(木)「読書は楽し・・・の風さん」
 毎月15日は新鷹会だが、もう今の私は新鷹会どころではない。超超超忙しい。
 早起きして、最寄の駅から特急に乗って出発した。今回、カバンに入れている本は、読みかけの『天才の栄光と挫折』(藤原正彦著)である。目的地に着くまでに、ウィリアム・ハミルトンとソーニャ・コワレフスカヤを読んだ。ハミルトンはアイルランド人で、昨年『アイルランド幻想』を読んでいた私としては、ますますアイルランドの歴史に興味を覚えた。同じくロシア人の女流数学者ソーニャ・コワレフスカヤの数奇な人生にも、強く惹かれた。特に、彼女の場合、数学者と文学者の間を振り子のように大きく振れながら生きてきたのだ。その振幅の大きさ! 
 出張は、きわめてシビアな打ち合わせだった。先方は、私の職場が非常に迷惑をかけている顧客なのである。それでも、お互いに国内では一流の企業に勤める会社員だし、何と言っても同じ日本人なのである。深刻な話題であっても、自分の立場を越えて、相手の立場にも立ってものごとを考えることができるのだ。これが、もし北朝鮮や中国人などを相手の交渉だったら、とてもとてもまともな会話にすらならないだろう。
 一緒に昼食を、という同僚らと別れて、さっさと帰ることにした。『天才の栄光と挫折』の続きも読みたい。
 ところが、帰りの新幹線で爆睡してしまった。やはり心身ともに疲労していたのだろう。
 それでも、名古屋駅から自宅までの間に、シュリヴァーサ・ラマヌジャンを読んだ。偉大なインドの天才数学者である。ラマヌジャンについては、藤原正彦氏の『心は孤独な数学者』で強く印象付けられていたから、再びラマヌジャンに会えたような感じで、妙にうれしかった。
 『博士の愛した数式』の小川洋子さんは、『天才の栄光と挫折』を読んでのが、『博士の愛した数式』執筆のきっかけになったそうだが、確かにラマヌジャンの章を読めば、そのことが頷ける。たとえばイギリスの数学者ハーディとの会話のエピソードが、それである。
 「天気がひどいうえ、タクシーの番号も1729というつまらぬものだった」(ハーディ)
 ところが、ラマヌジャンは間髪をいれずに言った。
 「とても面白い数字ですよ。3乗の和として二通りに表せる数字の中で最小のものです」

3月16日(金)「ぼやき・・・の風さん」
 夕べは読みかけの『漂泊の牙』(熊谷達也著)を読み終えた。前半の格調高い硬質な作風が、後半は派手なエンターティンメントに変貌していてちょっと違和感を覚えた。冒険小説がミステリに変貌したと言ってもいい。今年13冊目の読破で、今年は何とか50冊以上読破したいものだ。充電も必要なのである。
 今日は比較的マイペースで会社生活を送り、帰宅したら楠木誠一郎さんの新刊が届いていた。得意の日本史もので、『日本史人物「第二の人生」発見読本』(彩流社 1500円税別)である。早速ワイフがパラパラと中身を点検。『ラランデの星』にも登場した、50歳で隠居し天文学に打ち込むため高橋至時に入門した伊能忠敬や平賀源内、杉田玄白のあたりを読んでうれしそうな表情をしている。
 「何を喜んでいるんだ?」
 「楠木さんとわたし、歳がひとつ違いなの。だから、同じテレビ番組を見て、歴史上の人物にイメージを重ねているんだなあ、と思って」
 「だから、何なんだ?」
 「ちゃんと楠木さんに伝えておいてよ!」
 次女は楠木さんの名探偵シリーズのファンだし、ワイフも同調している。我が家には、作家鳴海風のサポーターはいないのか?
 
3月17日(土)「忙中寒あり(?)・・・の風さん」
 庭の木蓮は盛りを過ぎて、青空へ突き上げるように開いていた白い花びらにも翳りが出ているが、近頃は日を追うごとに寒さが増している。昨日はついに東京に初雪が舞った。当地も冷たい風が吹いている。
 今日は朝から、来たる31日の日本数学会市民講演会で使うスライドの準備に専念した。和算小説の解説をして、一般の方々に小説から江戸時代の数学、そして江戸時代の文化に触れてもらおうという狙いである。せっせと準備しているうちに、例によって凝り性が頭を持ち上げ、緻密なビラにはなる、枚数は増えるで、とんでもない状態になってきた。
 もういい加減にしようと、午後11時ころ、作業を中断しかけた時、久々の異変が起きた。パソコンが固まったのである! パワーポイントの資料を、途中で保存しないまま作業を継続していたので、メモリーが一杯になってしまったらしく、動かなくなってしまった。とりあえず、閉じることのできるファイルは閉じ、タスクマネージャを立ち上げて、そこからもアプリケーションの停止を試みたのだが・・・間違って、開いていたパワースライドのファイルまで閉じてしまった。慌てて、再度立ち上げてみると、いかに長時間保存せずに作業していたかが分かった。それから約1時間分の作業をやり直してから、一日の作業を終えるハメになってしまった。
 実に久々のパソコン・トラブルである。
 パソコンといえば、勤務先での機密情報盗難事件が、新聞やネットニュースに出ていた。計画的な犯行らしい。それにしても、犯人が中国人だというのがいただけない。わたしの住んでいる愛知県には多くの中国人がいる。留学生だったり社会人だったりである。わずか一人の中国人の犯罪が、そういった多くの罪のない中国人全体の信用を失ってしまうのではないかと心配である。
 来週から、会社の情報セキュリティが一層強化されるだろう。やれやれ、である。 
 うちには毎日のように郵便物がどっさり届くが、今日も抽選が当たって景品が届いた。試飲の新銘柄ビールである。ラッキー。しかし、ビールを飲むにはまだ寒いな。

3月18日(日)「アパレル業界の製造実態を考察・・・の風さん」
 今日は昨日よりさらに風が強く気温も下がった。
 就職する長女が配属されるレストランに、ワイフも含め3人でランチを食べに行った。ホテルの付属レストランなので、けっこう豪華で美味かった。あらかじめ長女が両親を連れてきてご馳走するという触れ込みだったので、新職場に対しては親孝行の娘を演じたことになった。食事を終えて、シェフやマネージャに「よろしく」と挨拶したが、その後の買い物で、長女にホワイトデイがらみでダイヤの指輪をプレゼントしたので、差し引きではやはり長女が得をしたことになる。さすがに、これではもらい過ぎと思った長女は、そのあと、おもちゃ売り場で、ぼくに赤外線コントロールのチョロQを買ってくれた。
 長女とワイフの服の買い物に付き合ったが、若い女性向けのショップの異常な繁盛ぶりに圧倒された。同じ物が二つとないような品揃えで、made in china なのだが、デザインは恐らく日本だろう。同一商品を大量生産する時代はとうの昔に終わって、デザイナーがありとあらゆるデザインの服を設計し、それを手間賃の安い中国などで製造する。生産が海外へ移転しても、しっかり付加価値のつく仕事が日本に残っているのだ。
 夕食後、愛工大の入学手続き書類を仕上げ、郵送の準備を終えた。
 今日は、市民講演会のスライドの準備が全然できなかった。

3月19日(月)「クルマ大好き風さんの巻」
 また多忙な会社生活が始まった。夕べは、寝る前にチョロQの操作に夢中になってしまったので、就寝が遅くなり、眠い眠い。それでも、朝から必死に仕事して、夕刻に退社した。まだ空の青さが残っていて、次第に夜の色が濃く深くなっていく時間帯である。ミッシェルを軽快に走らせながら、物思いに沈んで・・・はいけない! 安全運転、安全運転。
  これが赤外線で走りがコントロールされるチョロQ(インプレッサ)
 僕より遅く帰ってきた長女と次女にも、チョロQの走りを見せてやった。
 「わー、お父さん、すごい」
 こういうことには女の子というのはひどく感心してくれるものだ。あはは。

3月20日(火)「再び迷惑メール急増・・・の風さん」
 最近またまた迷惑メールが増加してきた。春を告げる現象の一つだろうか。帰宅してみたら、サーバーで削除されたものが1日で440通、パソコンにインストールしてある第一段のフィルターで55通、ちゃんとメーラーに届いたのは、いつも通りの10通弱だった。
 昼休みにジュンク堂池袋本店の担当者と電話で話した。4月7日のトークセッションのことではなく、春の理工学書フェアの話だ。ぼくの小説も店頭に並べるそうで、オリジナルポップを立てたいという申し出だった。つまり、著者自らポップを記入してほしいというのだ。面白い試みだったので承諾した。
 トークセッションの前日の6日の社内スケジュール(案)がほぼ確定した。4月からお世話になる愛工大の先生に来社してもらい、社内をご案内するスケジュールである。今回の自主的な研究計画は、表面的には会社の仕事を学問的にまとめるものだが、経営関係の勉強は、作家としての勉強にも大いに役に立つことであり、そのメリットは計り知れない。
 とはいえ、大切な先生を引っ張り回す、ほぼ丸1日のてんこもりスケジュールである(^_^;)。
 今夜はやけに眠くて、とりあえず新鷹会理事就任承諾書だけ作成し、さっさと就寝した。

3月21日(水)「月と星・・・の風さん」
 今日は迷惑メールが半減した。
 帰宅時、三日月の左上に木星が輝いているのを見つけた。昔、こういったマークの靴を見たことがあるな(笑)。
 帰宅するなり、ワイフから「お月様見た?」と聞かれたので、すかさず「隣に木星がいるだろう」と指摘したら、(なーんだ、知っているのか)とガッカリされた。気が付かなかったフリができるほど、鳴海風は人間ができていない。
 しかし、食後、すぐにワイフの手伝いを申し出た。ワイフは、今度の週末にトールペインティングの作品を展示する機会があるのだが、そこで配るカードの印刷が必要だった。2年前に作ったカードがあるので、それを若干修正する形で注文に応じた。
 書斎に入って、市民講演会で配布する資料作成の続きをやって、何とか埼玉大学の先生へ送ることができた。
 講演スライドもほぼ8割がた完成した。
 階下へ降り、食堂のテーブルの上で、赤外線コントロールのチョロQを走らせた。けっこう操縦テクニックが上達したな。
 明朝が早いので、今夜も早めに就寝した。

3月22日(木)「朝も早(はよ)から・・・の風さん」
 6時前に目覚ましで起床した。
 ミッシェルで有料道路を1@@km/hで突っ走り、本社へ直行した。
 7時半からの重役報告に楽勝で間に合った。その後、大きな会議一つに出席してから製作所へ向かったが、久々に頚椎症のため、左の肩甲骨のあたりに鈍痛を覚えた。昼食後にロキソニンを服用した。
 午後も会議が続き、興奮して喋り過ぎたので、少々疲れた。
 帰宅したら、鈴木輝一郎さんの新刊が届いていた。『戦国の鳳 お市の方』(河出書房新社 1600円税別)、目が覚めるように美しい装丁の本である。これまでずっと戦国時代を舞台にした小説に軸足を置いていて、その執筆姿勢には大いに学ぶべき点がある。
 夕食のときに、舌の付け根が痛くて往生した。無理して早起きしたので、あちこち調子が狂っているのかなあ。どうも早起きは三文の徳、とは簡単にはいかないようだ。
 
3月23日(金)「ボンバルディアで飛んだ風さんの巻」
 ワイフにセントレア空港まで送ってもらい、福島へ飛んだ。出張である。上司や同僚らは新幹線だが、空港に近い私は空路を選んだ。帰りの便も考慮してのことである。・・・ところが、この選択には少々のリスクがあった。
 先日高松空港で、着陸時に自動でも手動でも前輪が出ずに、胴体着陸したことがニュースになった。あまり耳慣れないカナダ製のボンバルディアDHC8−Q400という双発のプロペラ機だったので、よけい騒がれた。今回の福島往復で私が乗る旅客機こそ、まさにそのボンバルディアDHC8−Q400なのだ。
 胴体着陸事件があった直後、そもそも機体に欠陥があったのではないか、それとも整備不良だったのか。冷静沈着な操縦士の技量が評価されて、報道熱は冷めかけたが、その後も次々に報じられる同社の飛行機のトラブルで、また何か起きるのではないか、と一般民衆の興味が煽られていた。しかし、航空機事故が起きると、その後こういった記事が続くことに、既に我々は慣らされている。まして私は、機械工学を専攻してきたのだから、飛行機がなぜ飛ぶかとか、飛行機はどのように設計されるのかといった基礎的なことは熟知している。最先端のエレクトロニクス技術で装備された、亜音速も出ようかという巨大な旅客機に比べれば、双発のプロペラ機ほど安心な飛行機はない。人間の技量が及ぶ範囲が広いのである。
 
 ・・・と、余裕シャクシャクで搭乗ゲートへ向かった私は、一瞬我が目を疑った。
 待っている客が一人もいないのである!
 結局、乗客定員74人のところへ、この日は10人がひっそりと乗り込んだのだった。
 夕方に仕事を終え、上司と同僚らを郡山駅で見送ったあと、私は母の家へ電話して、福島交通バスに乗り込んだ。
 母と外で夕食を摂り、温泉に入ってから家に着き、仏壇の父の位牌に線香を上げ、その後、世界選手権女子フィギュアスケートのショートプログラムをのんびりテレビ観戦した。キム・ヨナのずば抜けた演技に驚嘆した。

3月24日(土)「たまには多忙な1日を公開・・・の風さん」
 やることがたくさんあるので、週末の時間は貴重である。昼前の便で帰る計画にしてあった。
 母のクルマで福島空港へ向かい、また昨日と同じボンバルディアDHC8−Q400に乗るのである。福島便はずっとこの機種なので、もう何回目のフライトになるのか数えられないくらい多い。それにしても、この機種の名前には違和感があるな。DHCというと、何となく叶姉妹を連想してしまうし、それがQ400と続くと、コエンザイムといった健康食品まで連想してしまう。もっとも、それは、私自身が老いてきて、ただでさえキャパの小さい頭脳が、だんだん健康維持といったことに余計なエネルギーを使うようになってきている証拠でもあるが。
 今日の乗客は家族連れもいて多かった。タラップを登って搭乗する前に、前輪をしげしげと眺めて整備員と談笑する人や、機体をバックに記念写真を撮る人もいた。現地現物というが、メディア上で騒がれていることでも、現地を直接眺めると、こういったこともあるのだ。
 昨日のフライトはまさに写真にあるような晴天に恵まれたが、着陸態勢に入ってからは揺れが大きく、久しぶりに耳が痛くなった。
 今日は、出発時から曇天で、フライト中は霧の中にいるような状態だった。しかし、揺れは昨日ほどでなく、持参してきた経営に関する本(地元図書館で借りたもの)を少し読むことができた。4月から経営工学を学ぶつもりなので、こういった本に親しんでおくことは重要だ。
 セントレア空港に着いて、連絡バスを待っている間に、姓名判断の南山誠林さんからケータイに電話が入った。しばらく名古屋へ単身赴任していたが、来月から東京に戻ることになったという。しかも栄転である。名古屋で著しい業績を上げられたので、本部へ戻ってまた活躍されるだろう。え? 何の本部かって? それはナイショ。少なくとも姓名判断の本部ではありません(笑)。
 小雨がぱらつく中、帰宅した。
 遅い昼食を摂ったあと、次女からケータイにメールが入った。トールペインティングの展示会にワイフが出品しているので、それを鑑賞に行っているのだが、迎えに来てくれないか、というものだった。
 「ケータイショップに寄って機種交換してから行くよ」
 と返信した。
 ケータイショップで手続きをしている間に、次女から現ケータイにメールが入った。
 「早く帰りたいから、電車で行く」
 すかさず、返信した。
 「まだ機種変更が終わらないけど、駅まで迎えに行こうか」
 その直後、現ケータイの受発信が停止され、新ケータイに機能が自動で移行された。
 そうこうしている間に、その新ケータイに次女からメール。
 「もうすぐ着くから、歩いて帰るよ」
 すぐに新ケータイから返信。
 「雨が降っているよ」
 「大丈夫だよ。ありがとう」
 電車に乗っている高1の次女と、機種変更しながらケータイでメール交換ができるなんて、すごくない?(ここは尻上がりに読むこと)
 無事に機種変更を終えて(受付の女性はどう見ても20歳前後だな、といやらしい中年の観察も怠らない)、ワイフのトールペインティング展示を見に行った。ワイフの先生の教室の展示会なので、レベルが非常に高い。また、いくつかのブースごとにコンセプトやテーマを決めた展示をしていて、その工夫とセンスに目を見張った。ワイフの教室がここまでレベルアップするのはいつだろうか。
 夕食後、世界女子フィギュアスケートのフリーの演技を家族でテレビ鑑賞した。ショートプログラムで首位に立っていたキム・ヨナがまさかの2度転倒で失点し、前日からの気持ちの切り替えに成功した精神力の浅田真央が見事な演技をして点数を伸ばし、最後の演技者となった安藤美姫が、前日2位のポイントと今日のライバルの出来を冷静に読み取ったモロゾフ・コーチの的確な指示を守って、着実にポイントを上げて優勝した。本当にスポーツ・ドラマにはいつも感動する。
 日本が金銀をとり、銅メダルも韓国のキム・ヨナということで、心配されるのは、欧米人の不当な逆襲である。かつて、純ジャンプや複合ジャンプが日本の独壇場になりかかったとき、スキーの長さや点数の配分といったルールを変更することで、日本は一気に不利になってしまった。運動能力の優れた黒人選手が入りにくいフィギュアである。これからは、ルールの世界にも積極的に日本人やアジア人を送り込んで、不当な規則改悪を阻止するべきだ。
 そのスポーツの感動を引きずって、たまっている仕事に戻った。
 4月7日にトークセッションをやらせてもらうジュンク堂池袋本店から、オリジナルのポップスタンドの作成を頼まれていた。その作成に午前2時過ぎまでかかり、さらに新ケータイのアドレス編集がパソコンで行えるようにするのに、午前4時過ぎまでかかってしまった。
 ほとんど徹夜明けのような状態だったが、少しだけでも寝なければ、とベッドへ沈み込むようにもぐりこんだ。爆睡・・・zzz。

3月25日(日)「今夜は家族で外食・・・の風さん」
 午前11時過ぎに起床したが、頭が重い。シャワーを浴びてみたものの、やはりスッキリしない。
 とりあえず気まぐれ日記をまとめて更新した。それで、疲れて、またダウン。
 夜は、家族で外食することになった。来週から長女がいよいよ社会人になるので、そうなると名古屋で一人暮らしである。家族で全員で食事する機会はほとんどなくなる。いつかはこういう時が来る。分かってはいても、母親にとっては感慨深いものがあるのだろう、ワイフから外食の提案があったのだ。
 これまで何度も利用したことのあるステーキレストランへ行った。サラダバーが売りの店だ。
 店の構えはほとんど変わらなくても、従業員はもちろん、メニューやサービスは変化している。一流レストランに勤めることになる長女は、ウェイトレスの服装や髪型、仕草が気になって仕方ない。以前に比べたらメニューも高額になっている。一番の売りだったサラダバーも、品数が減って、なくなってもなかなか補充されない。加えてサービスが低下したのでは始まらない。今夜は、我が家にとっての記念の夕食だったが、このレストランともこれで縁切りかもしれない。
 それにしても切れた舌が痛い。
 帰宅してから、読みかけの経営関係の本を読み進んだ。

3月26日(月)「痛い痛い痛い・・・の風さん」
 朝起きたときから切れた舌が痛かった。治っていないのだ。いや、むしろひどくなっている。
 朝食はホットミルクだけにした。
 今日は、会社ではほとんど喋らないことにした。もちろん、これでは仕事にならない。幸い会議が少なかったので、メールの整理に集中したが、集中してもなかなか片付かない。
 昼食はうどんにして、ほとんど飲み込むだけ。それでも痛い。飲むヨーグルトで空腹を補ったが、舌を動かすたびに痛かった。
 帰宅して、夕食もうどんにしてもらった。
 今年も新鷹会のアンソロジーが出ることが決まったようで、光文社から私の短編収録の同意書が送られてきていた。来年の学費の当てがない私としては、こういった収入は大いに助かる。すぐにサインした。明日にも返送しよう。
 痛みに耐えているだけでも、けっこう体力を消耗するものだ。猫のシルバーとホットカーペットの上に寝そべったら、そのまま2時間寝てしまった。起きて、空腹を感じたので、薄皮饅頭を飲み込んだ。美味かった・・・が、痛かった(涙)。
 今夜も読みかけの経営関係の本を読み進んだ。我ながら読書スピードはのろい。

3月27日(火)「歯科口腔科で受診・・・の風さん」
 最近いつも6時半に目が覚める。今朝は恐る恐る舌を動かしてみた。痛! かなりの激痛である。昨夜、ひと晩寝て、症状が軽快していなかったら病院へ行こうと決めていたので、即決定。
 約2時間後に起きて(どうも体がだるい。苦痛に耐えていると、体調までおかしくなる)、喋れないので、、休むことを会社へメールした。
 朝食はホットミルクだけにしよう・・・と思って階下へ降りたら、牛乳がないと言う。朝食は薬を水で飲んで終わり、となった。
 最近通っている総合病院へミッシェルで向かった。
 どの科で受診すべきか分からなかったので、受付で相談してみると、歯科口腔科だという。そんな科があったのか。しかし、納得。
 随分待たされるかと思ったが、ほどなく呼ばれた。予約システムが完璧に整っているので、新患を合間合間へ滑り込ませてくれるのだ。普通の歯科医院と同じ椅子に座らせられた。
 「峠は過ぎて治りかけていますよ」
 優しそうなドクターが、診察してすぐ言った。
 こっちは喋ると痛いので、あまり根掘り葉掘り質問できない。しかし、ドクターの説明によると、舌が切れるには色々な要因があるが、たいていの場合、症状を診ただけで原因は特定できないのだと言う。そして、あと1、2週間経過しても完治しなかったら、病理検査します、と物騒なことも付け加えられた。
 とにかく、痛くて困っている、と訴えたら、軟膏を処方してくれた。
 「あんこう、でふか?」(舌を自由に動かせないので宇宙人のような喋りになる)
 「薄く覆うように塗るのです」
 何となく、塗ってもらっても、すぐになくなってしまいそうだ。
 すべてが1時間ほどで済んだ。恐るべき速さに感動。
 帰宅して、昼食にお粥を食べた・・・と言うか飲み込んだ。梅干しが美味かった。
 読みかけの経営関係の本を、やっと読み終えた。
 その後、疲労が出て寝込んだ。
 夕方から、市民講演会用のスライド作成の仕上げをやった。枚数は多いがてきぱきと話せば何とかなるかもしれない。
 夕食は、とろろめしを2杯・・・飲み込んだ。箸をつけることもできなかった牡蠣フライが・・・(涙)

3月28日(水)「入学許可書で勝負?・・・の風さん」
 病院でもらったのは口内炎用の軟膏である。口の中をよくすすいで、手をしっかり洗ってから、舌に塗るのだが、意外と簡単にははがれない。実際、塗った指先に残った軟膏を、ぬるま湯をかけながら洗い流そうとしても、容易には取れないのでよく分かる。とにかく、これを塗って、舌を動かさないようにしていれば(つまり喋ったり食べたりしなければ)快適である。あとは、早く傷が癒えることを祈るしかない。
 とは言え、まだ満足には食べられないので、朝食は抜いて出社し、昼食も素うどん1杯である。舌の病気でダイエットが出来ている(笑)。
 なるべく喋らないようにして過ごしていたが、夕方、本社で重役の前で会議をしているときに、つい力説してしまったため、また舌を痛めた(笑)。
 退社時に、同僚から印刷された学位論文をもらった。100ページを超える立派な論文で、カラー印刷の部分もあった。自分も3年後に、こういった論文を仕上げることができたら、さぞかし感無量だろうと思った。愛知工業大学の入学式は、来週の月曜日だが、かねてからの予定があって出席できない。
 帰宅すると、その愛工大から入学許可書が速達で届いていた。聞くと、長男にも、今日、入学許可書が届いたそうだ。ぼくの入学許可書を長男に見せて、どっちが立派だ? と聞いたら、お父さんの方、という返事だったので、勝ったと思った(勝ってどうする?)。

3月29日(木)「舌がよくなりゃまた無茶な生活・・・の風さん」
 舌の調子はよくなってきたが、今朝もお粥にした。玄米入りで硬かった。
 今日も何とかおとなしくしていようと決意して出社したが、午前中、現場に入って指導しているうちに、またコーフンして大きな声を出してしまった。しかし、特に舌が痛くてどうしようもないということはなくなったので、そのまま喋り続けた。調子に乗って、今日は3時間半も現場指導をしてしまった。ちなみに、現場というのは生産現場のことで、明日、重役と部長が現場を見に来るので、その準備なのである。
 昼食はラーメン1杯と飲むヨーグルト1本。何となくお金のない独身フリーターの昼食みたいだなあ。
 今日は少し気分が良かったので、昼休みに安全衛生管理の勉強をした。ことしこそ資格を取らねば。
 早めに退社し、途中auショップに寄って、注文したあったケータイ専用のキャリングケースを受け取った。その足で地元の図書館へ行き、本(今年14冊目の読破)を返却した。
 実に何日ぶりかでまともに夕食を摂った。満足すると同時に疲労がどっと襲ってきた。ちょっと体を休めようと、ホットカーペットをオンさせて横になると、2匹の猫(シルバーとペコ)もそばにやってきた。3人(匹?)で川の字になってzzz・・・爆睡。
 目覚めたのが午前1時半。もう寝る気はなかった。
 これを書いているのが、翌30日の午前4時半である。明日31日(土)は、日本数学会の市民講演会である。

3月30日(金)「24時間起きている男・・・の風さん」
 今日は、担当役員と部長に現場の診断をしてもらい、指導を受けるという重要な日だった。今週は、そのための万全の準備をしたかったのだが、週末の個人スケジュールの準備もあって、達成度という点ではやや不十分だった。それでも精一杯やるのがモットーなので、ぶっ倒れる直前で手を抜かずにやってきたつもりだ。
 現場診断と指導が終わったのは、夕方6時過ぎだった。やはり厳しい指摘をたくさん頂戴した。
 その後、関係者で反省会をし、席に戻ってたまっていたメールチェックに取り組んだが、とても消化しきれるものでもない。いつものように適当なところで切り上げた。
 帰宅して、夕食を摂ってから、明日の上京の準備を開始した。今回は2泊3日になる。持って行く衣類も吟味すべき・・・ところだが、前日にバタバタしても始まらないので、適当なところで切り上げた。
 適当なところで「切り上げ」。会社もプライベートも、無理をしているからこうなるのだ。
 午前1時半に、へろへろ状態でベッドに倒れ込んだ。実に24時間も起きていたことになる。
 講演会の前日が、これでいいのだろうか・・・と思いつつ、たちまちzzz爆睡。

3月31日(土)「市民講演会・・・の風さん」
 都内、いたるところで桜が満開だった。そのせいか人出も多い。
 ワイフと共にJR浦和駅に着いたのが12時である。大きな荷物をコインロッカーに預け、伊勢丹でおばんざい料理の昼食にした。
 日本数学会主催の「市民講演会」の会場はさいたま教育会館だが、場所がイマイチよく分からない。駅からタクシーにした(実際はすごく近かった)。既に、福島県から兄がクルマで母を連れてきていた。母の目的は僕の講演聴講ではなく、会場で元高校の数学教師だった知人と五十数年ぶりに会うことだった。実際、僕が講演しているとき、母は居眠りをしていた・・・(ま、いっかー)。とにかく、その知人とは会えたので、母の目的は果たせたのである。よかったよかった。
 時間の経過とともに、知り合いの方たちがたくさんやってきてくれた。特に、咸臨丸子孫の会から4人も来てくれて、非常にうれしかった。後で聞いた話だが、今日の来場者数は、約130人とのことである。俗に言う、主催者発表という数字だ。警察庁発表となると、100は切っているかもしれない。
 講演では1時間半分のスライドを1時間ですさまじいスピードで話した。もっとも内容は、自分の本の宣伝ばかりだったので、超早口でも伝わったらしく、しばしばジョークに笑ってくれたし、終了後、質問もたくさん出て、非常に手応えのある講演会だった。
 今回は、自分の5冊の本をすべて2冊ずつ用意したのだが、完売することができた。よかったよかった。
 講演後はサインをしながら、さらに拙著の追加注文を受けることになった。
 ようやく5時過ぎにすべての片付けが終了し、先生方と近くのホテルのイタリアンレストランで懇親会となった。
 先生方からたくさん質問があり、私も話し足りなかった分をたくさん補った。
 今夜の収穫の一つとして、数学の研究において共同研究は少ないということを知った。お互いに自分の考えていることを説明して理解してもらうのがとても面倒らしく、いきおい個人研究になってしまうのだそうだ。数学者の中に個性的な人が多いのも、どうやらそういった研究姿勢が影響しているような気がした。
 都内に確保してあった今夜のホテルにチェックインしたのは、午後10時過ぎである。
 腰の万歩計をチェックしてみると、9000を超えていた。明日はもっともっと大きな数字になるだろう。

07年4月はここ

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